カテゴリー : 旅行
父に中部マップルを、美浜町図書館から、九州、中国、関西マップルを借り、出陣
美浜インターから知多半島道路(どこからか、南知多道路だっけ?)乗る前に、手土産としてえびせんべいの里にて、「たこせん」と「みはま」を購入
阿久比インターで降り、ひろあきたまと合流、東浦インターから大高へ、湾岸道路を使って頑張る
東名阪、天理から名阪国道、長い下りをニュートラルで凌ぎ、霧の中少しでもガソリンを浮かそうと奮闘 (ああ、奈良は盆地)
香芝で降り、一路けいくんちを目指す
しかし、ひろあきたまが連絡を取ると「今、証明写真撮ってる」とのこと
しかたはなしに、コンビニで遅い昼食をとることに
しばらくして、けいくんと合流、コンビニの駐車場で軽くおしゃべりして大阪南港へ
大阪南港からはフェリー、お父さんの伝書タッチの差で、相当高い船内の食堂で夕食
船内浴場、フェリーの揺れに合わせて湯がザブンザブン
夜、船内にアナウンス、外に出れば目の前に瀬戸大橋(明石海峡大橋か?)、寒さに打ち震える
10日(土)【運転:ひろあきたま】
6:50 九州上陸
九州にココストアがあることに、驚きを隠せず、同郷のよしみで、朝食を購入
8:10 真幸さんと合流 あいかわらずっぷりに和む
せっかく、別府にやってきたのだからと、真幸さんが通う「立命館アジア太平洋大学」へ
ここは日本か?荒涼たる山道を越え、たどり着きしは、天空の城
真幸さんの案内で、構内を見学する
これが、キャンパスというものか!建物の色彩が統一されていて学園都市っぽい感じ
野外ステージがあったり、交流スペースがあったり、幾カ国語分のパンフレットがあったりと
見るものすべてが新鮮だった
APUを後にし、山の中腹にある明礬温泉へ
湯の花の製造工程を見学
おみやげ売り場を物色し、しいたけの高さに驚愕する
続いて、別府の中心街散策
夜は歓楽街だという路地裏も、昼間ならいたって安全
博多の夜がトラウマになりつつある私も、なんとか……
竹瓦温泉の建物を見たあと、真幸さんが前から行きたかったという「喫茶 しんかい」へ
マスターにやけに街が騒々しいですねと訪ねると日教組の集会があって、右の方々が総出で来てるから、とのこと
そういえば、フェリーにも街宣車が1台乗って来てたっけ
喫茶店をあとにし、お昼を食べに
昼食は大分名物の「とり天」
なかなか、ガッツのある料理だった(真幸さんが食べきれずに、ひろあきたまに食べてもらっていたあたり、女の子にはきつい量なのだろうけど、森井さんだったら、案外食べるんだろうなぁ……)
真幸さんが、お昼から部活ということなので、APUに送り届けたあと
県規模では日本一のハウスミカン産地大分県は杵築市へと向かう
(別府市内には、時宗の開祖、一遍上人の碑があったらしいけど、踊り念仏はないわぁ)
前回の九州巡検の折に、九州2大ハウスミカン産地のもう片方、佐賀県唐津市を通ったにも関わらず、ハウス団地を見ることができなかったため(あとで、伊藤先生に聞いたら、空港のそばにあるって教えてくれた)
今回は何としてでも、ハウスミカン界では知名度抜群
杵築のリース団地を見る必要があった(せっかく、国東半島が北にあるんだし)
しかし、杵築市内に入っても、ハウスの集積が見られず
撰果場で聞いてみることに
土曜日で農協がお休みにも関わらず、中にいた職員の方が応対してくれた
卒論でハウスミカンの研究をしていて、かの有名な杵築のリースハウスを見に来たのだと事情を説明すると、何とリースについての資料を下さった
どうも想像していたものとは違い、リースハウスは一箇所に集中しているのではなく
何期かに分けられて造成されたため、市内に何箇所か分散して配置されているらしい
せっかく来たのだからと、一番わかりやすい場所を教えてもらい
やや南下して、原北団地へと向かった
ハウスが幾棟も連なる様はホントに壮観
美浜のハウスは、露地の園地にそのままハウスをかけたものであるため
形もいびつで、1戸の農家が飛び飛びにハウスを構えているが
リースは違う
ハウスとハウスの間、ミニローリーが通れるだけの大きな道が一本通り
機能性に優れている
近くに小屋が見られなかったため、きっと各農家がバラバラに撰果場に持っていくのではなく
一括で集荷されるに違いない
と、まぁとことんまで合理性を追求した(伊藤先生大好きな)工業的農業の様を目の当たりにしたあと
再びAPUへ
真幸さんと合流後、山を越え由布院へ
なんかこう、いかにも観光地って感じで
由布岳以外は、見るべきところがなかったと思う
一通りぐるっと見たあとは、再び別府へ
夕食を食べながら、お互いの近況報告
最後にもう一度山を登り、別府の夜景を眺望
真幸さんを送り届けたあと、ホテルへ。。。
11日(日)【運転:私】
朝、竹瓦温泉⇒42℃の熱湯
朝食は、ホテル横のココストアで購入
大浴場がとにかく大浴場じゃなかったホテルをあとにし
別府地獄めぐりへ
8箇所の地獄を見て回る
決して温泉に浸かるわけではなく、とにかく見て回る
ある意味で、地獄を見たあとは
別府市街を脱出し、お父さん御推薦の豊後竹田は岡城へ向かう
そこまでの道のりがまた険しかった
すれ違いも出来ないような山道
山に張り付いた集落、深い渓谷、右へ左へうねる道、ここは奇岩谷か
おそらく、この旅もっとも辛く危険な道を名古屋ナンバーのカラットが往く
行き着いた先は、難攻不落の名城「岡城」址
石垣だけ……
しかも、石垣だけの割になかなか広い
アップダウンも思いのほか激しく
駐車場で無料貸出しされる「転ばぬ先の杖」がとてもありがたく感じる
かなり疲労困憊した状態で駆け込んだ食事処
日曜日だというのに、店員が3名(フロア2、調理1)しかおらず
おそろしく待たされる
豊後竹田をあとにし、九州2県目、熊本へと入る
この日の宿は「阿蘇いこいの村」
そうそうにチェックインし、少し休憩をとったあと
阿蘇山中岳へと向かう
きっと夏にくれば、緑がまぶしいであろう(枯)草原
日本というよりは、モンゴルって感じだった
中岳火口部は、カルデラ湖
湯煙?噴煙?からたまに覗く、湖水面はエメラルドブルーだった
宿へ戻り、大浴場で疲れを癒したあとは
まさかの卓球
卓球場があるわけではなく、廊下の空きスペースに台が置かれているため
ほかのお客さんにとかく冷たい目で見られるものの、ヒートアップ
大満足の1時間だった
12日(火)【運転:ひろあきたま】
朝、バイキング
阿蘇から熊本へ、日本三名城の一つ、熊本城を見る
熊本からフェリーに乗り、九州3県目長崎県は島原半島に上陸
島原城をスルーし、ほうれんそうだらけのグリーンロードをひた走る
長崎市街へ
しかし、うっかり長崎出島トンネルに突入し、市街地から放り出される
再突入後、中華街をカラットで突っ切り、ホテルへ
歩いて出島へと向かう
出島の様々な文化に触れたあとは、中華街へ
皿うどんを食べる
オランダ坂を再び登りつつ、なぜかけいくんに電話するひろあきたま
さだまさしの解夏の舞台だというから、オランダ坂を登っているというのに
完全に意識は就活中のけいくんに
長崎みやげに「出島」プリントのTシャツを買ってきてくれ(力士可)というあいかわらずのボケをいなし
ホテルへと戻る
夜は、トランプ
ひろあきたまの強さは鬼神のごとく、保育園時代は神経衰弱ハカセと謳われた私がコテンパンにのされた
13日(水)【運転:私】
平和公園周辺を回る、資料館、祈念館、平和の像
溢れんばかりの水を湛えた祈念館で、伝えなければいけないことは何かを考えた
長崎をあとにし、長崎自動車道、九州自動車道を経由し、大宰府へ(九州3,4県目)
前回は食べなかった梅ヶ枝餅を食べる
どうも、梅が入っていると思い込んでいたのだが
梅の枝に差して供したことから、その名がきているらしい
ちなみに、振替休日の翌日なので九州国立博物館はお休み
太宰府政庁址、水城跡の見覚えのある道を通り、博多市街へと向かう
まだまだ、時間があったのでホンモノの金印を求め、福岡市立博物館へ
しかし、やっぱり、どうしても、どうにかなりませんか!休館だった
ホークスタウンや九大を横目に、ホテル「マルコーイン博多」へ
夕食はキャナルシティ地下1Fの「一蘭」でラーメンを食べる
画期的なシステムで、客の回転率が気になるところだが、観光客には受けると思った
キャナルシティを出た後、軽く迷ってしまうところだったが、地理科の意地で
方向感覚を取り戻し、国体通りへ
黒服ゾーンから脱出
いろいろ屋台を見て回った後、その名に引かれ「リバーサイドレストラン おけい」に入る
もつ煮込みがおいしかった
そして、なぜかマルコーインのはす向かいにあった「屋台 ぴょん吉」
14日(水)【運転:ひろあきたま】
九州脱出
昼過ぎ、宮島口到着
フェリーで宮島に渡り弥山に登る
厳島神社、干潮でただの浜辺に建てられた社に
夜、牡蠣を食べる
15日(木)【運転:私(吉備ICまで)⇒ひろあきたま(奈良まで)⇒私(最後まで)】
宮島口から2号のバイパスで広島市街へと
原爆ドーム、祈念館、資料館
志羽から中国道に乗って、岡山、兵庫を乗り越える
大阪、奈良へと入り、1週間ぶりにけいくんと再会
下宿先で挽きたてコーヒーを頂いたあと、びっくりドンキーでこの旅最後の晩餐
愛知への帰路についたカラットを待ち受けていたのは
夜の帳、吹き荒ぶ横風、そして雨だった
まさに、最後の試練
11時過ぎに帰宅
家族の第一声は「え、風呂流しちゃったよ」だった